ルイス・デ・アルメイダとオリーブオイル療法

History 歴史
西洋医術発祥記念像 大分県大分市@wikipedia
10年ほど前にオリーブオイル取引先CARMのオーナーから興味深いレターが届きました。南蛮時代の貿易商人であり医師であったルイス・デ・アルメイダという人物についての資料が含まれており、オリーブオイルと関係があるというのです。
今日は新たに最近発見したデーターも加えて、当時書いたブログ記事の改定版をアップします。
ルイス・デ・アルメイダという人物は、1552年ポルトガル人貿易商人として来日。山口でザビエルの意思を継ぐスペイン人イエズス会神父コスメ・デ・トーレスと出会い、30歳の時にイエズス会の教えに目覚めたと言われます。2度目の来日は1555年。中国からのシルク貿易で裕福だった彼は、孤児院をつくるために自らの財産の一部を寄付して創設したそうですが、当時このような孤児を養う場所は日本になく、逆に悪く解釈され孤児院の存続は出来なかったそうです。
1556年には大名大友宗麟の許可を得て、1557年大分に西洋医学を施す日本初の病院を設立。病院の建造費はアルメイダの財産が投入されました。病院は患者100名ほどを収容できる規模で、医師であったアルメイダは西洋外科医の治療法を日本人医師に伝えたそうです。内科医は日本人キリシタンで日本や中国の漢方を用いた内科治療も同時に実施していたそうで、ザビエルがインカルチュレーションと呼ばれる現地文化に適応するという教えを実践していたことも垣間見られます。1560年イエズス会は魂の救済が目的であり薬剤治療をすることではないという『医療禁令』発布、アルメイダも病院から退きます。
 アルメイダはなんと食事療法も治療に用いていたそうで、オリーブオイルも治療の中に入っていたことです。アルメイダの治療法は信仰と深く関わっていたという部分も、カトリックのポルトガル・スペイン人の今でも残る習慣そのものです。Santa Casa de Misericordia【聖なる慈悲の家】というキリスト教徒が助けあるための互助組織も発足していたそうです。
アルメイダは実はユダヤ人でコンベルソと呼ばれるユダヤ教からキリスト教に改宗したファミリーの出身です。21歳の時にリスボンで医師の資格を得ていたそうです。余談なのですが、オリーブオイル取引先CARMのオリーブ農園の近くにアルメイダという町があるのです。スペインとの国境にある町で、もしかしたら改宗しないユダヤ人は国外追放であった15世紀、スペインからアルメイダの町にこの一族は逃げたのではないかと想像しています。改宗したユダヤ人はキリスト教徒と分かるように、苗字も変えており職業や地名が苗字に使われていることが多いのです。CARM農園の周辺は、スペイン人ユダヤ系人が隠れ住んだ場所なので、もう少し調べてみたいと思っています。
因みに当時から医学はユダヤ人専門分野で、スペイン王家の医師団は全てキリスト教に改宗したコンべルソと呼ばれるユダヤ人でした。
アルメイダは病院から退いた後も各地で治療や宣教に携わりながら、商人としてビジネスも続け、利益は惜しみなく病院のため、また資金不足だった教会に寄付をしていたそうです。
 
1580年マカオで司祭に叙階され、再び日本に戻り宣教活動・医療活動を続けますが、3年後の1583年天草の河内浦で他界したそうです。天草にこのようなイエズス会宣教師の教えが深く根差していたからこそ、後の島原の乱のような悲劇にもつながったのだと思いますが、美しいキリスト教の慈愛精神が存在したのだと思います。天草には彼らの銅像や石碑があります。冒険商人から無償の医師となり、孤児の保護までも遠い日本で行っていたというこの人物の事は、知れば知るほど魅力を感じます。いつか天草の地にはお参りしたいと強く思っています。
 
彼が建造した病院は、1587年に薩摩兵によって破壊されてしまいましたが、1969年にアルメイダ病院として復活。ポルトガルの偉大な人物の形跡が数百年経ってまたこのように再建されたことは、ポルトガル・スペインに長く住む私にとっては非常に感動的で、日本で最初にオリーブオイルを治療に登用したアルメイダの存在を、取引先CARMの医学を学んだオーナーフェリペが教えてくれたことにも特別なつながりを感じます。CARMのご先祖も医師でもあり、オリーブオイルへのこだわりが深いという話を聞いているので、益々日本とポルトガルの間でオリーブオイルを広める仕事をしていることに深い意味を感じずにはいられません。
天草市殉教公園に残るアルメイダ記念碑 (写真はamakusatanken.netより)
アルメイダやイエズス会の素晴らしい殉教者については、今後もご紹介したいと思います。

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