Tarazonaタラソ―ナの町とサンタフェ家

History 歴史

ロマン派の詩人グスタボ・アドルフォ・ベケルは、このタラソ―ナの町を『小さなトレド』と呼びました。そのくらい中世イスラムとキリスト教のミクスチャーであったスペインの様子を強く残す美しい町ですが、ムデハル様式の建造物はもろいので正しく保存されることを祈るばかりです。

実はパートナーのファミリー『サンタフェ家』のルーツは、このタラソ―ナの町と深い関わりがあり、今回2度目の訪問をして参りました。不思議なご縁でこの町のユダヤ人街保存に貢献したJavier Bonaハビエル・ボナ氏に巡り合い、今回色々な情報をいただいてきました。

12世紀にレコンキスタが終了し、イスラムからキリスト教徒の手に渡ったこの町では、イスラムの城はアラゴン王家の宮殿となり、商業的にも発展し立派なユダヤ人街もありました。上の写真はZudaと呼ばれるイスラムの城がアラゴン王家の宮殿となり、ルネッサンス期に司教宮殿となった建物です。この建造物の巨大さと豪華さには目を見張るものがありますが、既に内部は修復されており、あまり良い修復とは言えないのが残念です。外観はまだまだ修復が必要なのですが、適切なチームがない場合、このままの方が良いかもしれません。

ボナ氏とはカラタユで有名なレストランMeson de la Doloresで待ち合わせ。この地域の食文化にも詳しい彼に、伝統料理についても教えていただきました。本もあるそうで、これから彼の本は古本屋で探す予定です。

ファミリー史に戻ります。サンタフェ家の屋敷は現在ホテル・レストランになっており、残念ながら内部は完全に改装されています。初めてタラソ―ナに行った時は、ちょうどこの建物が売りに出ていたので、内部も保存されていたのですが、ブティックホテルになってしまったので超現代的に改装されてしまいました。多くの人がご存じだと思いますが、スペインからユダヤ教徒は15世紀からキリスト教に改宗しないと追放されてしまったので、サンタフェ家も改宗してスペインに残りましたが、弾圧は逃れることが出来ませんでした。タラソーナからトゥデラへ移り、最終的にパンプローナ周辺にサンタフェ家は住み着いていたというのが、私たちが聞いた情報だったのですが、古文書などを調べて相当ルーツに近づいて来ていると思います。

紋章には色が残っていてとても立派です。タラソ―ナは優れたユダヤ人街が残る町ですが、その保存についての規定はほぼない同然なので、このような歴史ある建物のリフォームも自由に行われてしまい破壊されてしまったと、ボナさんは強く嘆いていました。かろうじて彼が破壊される前に建物内部の一部を撮影してくれていたので、その写真をいただきました。

中世の趣を強く残す階段。柱もどこへ消えてしまったのでしょうか。誰かが使い続けてくれているといいのですが。

この柱頭は中世のもので、ユダヤ教の象徴である燭台メノーラ―を表しているデザインだそうです。確かに7枝に分かれている燭台のように見えます。ボナ氏のおかげで、サンタフェ家がこの町でアラゴン王家に仕えていた時代の一部を垣間見ることができ、より深く調べてみたくなりました。

初めてタラソ―ナに行ったのは20年近く前になると思いますが、この美しい祭壇画を依頼したのがサンタフェ家であることを知った事が切っ掛けでした。マドリードのラサロ・ガルディア―ノ美術館のゴシックの祭壇画の傑作として展示されています。跪いているのがMosen Esperandeu de Santafe。素晴らしい彼の肖像画と共に聖母マリアが描かれています。  1439年Blasoco de Granen作。

ウィキペデアのは以下のように掲載されています。

Virgen de Mosén Esperandeu de Santa Fe (1439), tabla procedente del retablo de la iglesia del convento de San Francisco de Tarazona, Zaragoza). Temple sobre tabla, 165 × 107 cm, Madrid, Museo Lázaro Galdiano. En la cartela inferior se lee: «Esti retaulo fizo fazer el muyt honorable Moss[én] Sperandeu de Sancta Fe cauallero a honor e reuerencia de la gl[or]iosa Virgen María, el qual fue fecho en el anyo de mil cuatroçientos trenta et nueve».[1]

Mosen Esperandeu de Santa Feがユダヤ教からカトリックに改宗し、サン・フランシスコ修道院内のチャペルにこの祭壇画を祀った事は分かっています。永代所有財産解放令という政策が19世紀に実施されましたが、その時修道院が解体され、その際コレクターの手に渡ったのだと想像できます。

祭壇の中心部だけがコレクターの手に渡り、祭壇の他の部分は消滅したと思われていたのですが、1950年代サン・フランシスコ修道院修復の際、天井裏の屋根板として祭壇画が使用されていて失われたパーツが姿を表しました。これについては読んで知っていたのですが、発見された絵がタラソ―ナの役所で保管されておりボナさんの仲介で7月に見せてもらえることになりました。嬉しい事にボナさんは早速写真を送ってくれました。

天井裏で雨風に晒されベストと言える状態ではありませんが、こんな風に発見されること事態が奇跡的で、サンタフェ家のチャペルも今後の修復でより明確になる気がしています。

ボナさんの話では、もっと調査するべき近隣の町があり、ファミリーヒストリーは、益々面白くなってきています。アラゴン王国はカスティーリャ王国よりも地中海に面してエブロ川を通じる交易で商業的に栄えていた地域なので、ユダヤ人街やユダヤ人の存在がとても重要でした。そんな歴史的な名残を伝える面白いものが隣町トゥデラに残っているのですが、今回はそれも見学に行ってきました。次回はそれについてお伝えしたいと思います。(下は数年前に修復が終わったタラソ―ナの大聖堂)

スペイン語ですが、もっと詳しくこのヒストリーを知りたい思って下さった方はこちらのリンクをご覧ください。

TARAZONA: Leyenda de familias conversas y sefardies
. BAJO ESTAS LINEAS: Virgen de los Santafé-Azamel, encargada por los Santafé y Santángel en 1438 y pintada en 1439 por Blasco de Grañén, en...

コメント

タイトルとURLをコピーしました